現代金融商品との向きあい方~古代ギリシャ哲人に学ぶ「無知の知」~

経営

少し前の話ですが、スイスの大手金融機関クレディ・スイスの劣後債が無価値化されたことは多くの方がご存じではないでしょうか。

金融庁によれば、日本国内での購入額は1400億円とのこと。

ニュースによると、青山学院大学駅伝部の原監督も、”老後資金の数千万円をパーにした”そうです。

劣後債とは

今回、無価値とされたのはAT1債という劣後債の一種です。

一般に会社が破綻する時、まずは株主が責任を取る(株式の価値が毀損する)、それでも賄えなければ債権者も責任を取る(債権の価値が毀損する)というのが大前提です。

劣後債、というのは株式と債権(債券)の間にあるようなもので、会社が破綻する際にまずは株主が責任を取り、その次に劣後債保有者、それで賄えなければ一般の債券が毀損する、というのが一般的な理解となっています。

つまり、”劣後債”というのは返済順位が一般の債権者よりも”劣後”するという意味でつけられた名称です。

銀行が劣後債を発行する理由

何故、銀行がこうした債券を発行するのか?

それはこうした債券を銀行の自己資本の一部として計上するのが認められているからです。

金融機関は法的に自己資本比率を一定水準以上に維持することが求められています。

それをクリアするために、こうした資本類似の債券が、私の認識では機関投資家向けには2000年前後から、近年になって一般投資家にも販売されるようになっています。

AT1債とは

その中でもAT1債は、劣後性が強く、より株式に近いものと位置付けられます。

なお、AT1債は、Additional Tier1の略称です。

Tier1はメーカー等では一次請け、つまり一番初めに受注を受け責任を持つ会社を意味することが多いと思います。

金融の自己資本においては、一番初めに損失を負担する部分、つまり株主資本を意味します。

AT1債(Additional Tier1)はAdditionalなので、「Tier1に加えてもいいよ」という株主資本に近い位置付けとなります。

また、金融機関の自己資本の概念にはTier2と言うものもあり、これはB3T2債等と呼ばれていますがここでの細かい説明は割愛します。

投資家が被害を受けた問題の本質とは?

さて、このAT1債の何が問題だったのでしょうか?

スイスのAT1債は、他国の銀行のAT1債と異なり、政府が介入したら無価値になる、という少し特殊な性質を持っていること、それを販売者が正しく説明していなかったことなどがニュースでは取り上げられています。

こうした点が問題なのでしょうか?

私はそうは思いません。

そもそもAT1債は、かなり厳密な規制に従い設計されていますので、それ自体は詐欺的な商品ではありません。(ただ、制度上、金融機関の存続を図る目的のため、投資家保護より金融機関の自己資本毀損回避に重点が置かれている面はあります)

失礼を承知で申し上げると、これは投資した人の”無知の無知”が原因です。

果たして、この金融商品を買ったどれだけの投資家が、この金融商品の仕組みやリスクを認識していたのでしょうか。

邦銀のAT1債に同様の可能性はないのか?

一年ほど前、私に、欧州銀行(クレディ・スイスではありません)の劣後債で運用するのはどうか、との相談が来ました。

私は即座に、「私なら買わない」と申し上げました。

さて、私は金融の専門家として劣後債の仕組みを知り尽くし、リスクを踏まえて回答をしたのでしょうか?

残念ながら、そしてお恥ずかしながら違います。

私には、欧州大手銀行の劣後債のリスクリターンの妥当性が判断できませんでした。

なので「私なら買わない。但し、この商品は買いだ!!と言える合理的な理由を自分で持たれているなら買われては?」と回答した次第です。

因みに、その際の証券会社の営業の方のセールストークは以下のようなものでした。

  • この銀行はG-SIBs(国際的に潰せない銀行)に入っているので相当安全
  • 地銀も運用商品として買っている

果たして、これがこの商品を買う合理的な理由になるでしょうか?


クレディ・スイスのAT1債については、株主よりも劣後債券保有者のロスの方が大きくなることに対する意外性・問題性が指摘されています。

ニュースではスイスの特殊性のように言われていますが、邦銀のAT1債でも同様の問題が起こりえるのは、今回の問題の前から専門家では認識されていることです。

(引用)財務省広報誌「ファイナンス」

引用は今回の問題発生前の2022年の記事ですが、3.2の後段に“元本削減型の場合、普通株も飛び越えて損失吸収することが起こりえる”との明確な記載があります。

残念ながら、金融の専門家を自称する私も含め、一般の人がこうした条件をきちんと理解し、なおかつ、そのリスクリターンを評価するのは殆ど不可能だと思います。

そうした自分の限界、無知と向き合い、”無知の知”を自覚することが金融商品を考える際の一番大切な要素です。

まとめ

勿論、リターンを得るには一定のリスクテイクも必要です。

ただ、事業会社であればリスクを取るべき分野は、自分が一番詳しい自社の事業分野であって、”無知”の金融分野ではない筈です。

また”無知”の分野でリスクを取るなら、”少しずつ”にすべきです。

知り合いに、食べたことない食べ物を、「美味しいよ!」と言われて、いきなりがっつきますか?

多分、最初は少しずつ食べますよね。

冒頭の、青山学院の原監督も、例えば5百万円ずつ、10金融機関のAT1債を買っていたら、クレディ・スイスが無価値になっても全体でのリターンはプラスだったかもしれません。(あくまで現時点では、ですが)

今回は、最近話題になったAT1債という運用分野の話ですが、過去問題になった調達系を含め、デリバティブやその他条件付きの金融商品に同様の要素を孕んでいます。

知らないという現実を正しく認識する、そんな古代ギリシャの哲人の知恵が改めて必要な時代になっています。

筆者紹介

l_052

株式会社アタックス 執行役員 金融ソリューション室 室長 松野 賢一
1990年 東京大学卒。大手都市銀行において中小中堅企業取引先に対する金融面での課題解決、銀行グループの資本調達・各種管理体制の構築、公的金融機関・中央官庁への出向等を経て、アタックスに参画。現在は、金融ソリューション室室長として、金融・財務戦略面での中堅中小企業の指導にあたっている。
松野賢一の詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。

タイトルとURLをコピーしました