西浦道明のメルマガ 2022年7月
2014年から、当メルマガでは自社独自の「池(市場)」を見つけ出し、その池の「クジラ(圧倒的なシェア・ナンバーワン)」となった結果、高収益を獲得・維持している中堅中小企業をご紹介している。
連載95回目の今回は、東京台東区で、高級ビニール傘の製造・販売を行うホワイトローズ株式会社(以下、W社)の池クジラぶりを見ていきたい。
W社の設立は1953年だが、その創業は1721年(享保6年)と江戸時代に遡る。
9代目の須藤三男氏(以下、S氏)が1950年代に世界に先駆けてビニール傘を発明・販売を始め、現社長の須藤宰氏が10代目としてそれを引き継いだ。
S氏はビニール傘の開発に取り組んだが、ビニール素材自体とその加工が壁となり、その開発には5年を要した。
そして、1958年、漸く世界初のビニール傘が完成したが、その売れ行きは思わしくなかった。
しかし、1964年の東京オリンピックを機に、アメリカの大手洋傘会社から、W社のビニール傘をニューヨークで売らないかと提案され、以後、ビニール傘を全て米国に輸出し、商売は軌道に乗ったかに見えた。
ところがその数年後、米国からの注文が止まった。
台湾に工場を作ったからだ。
その後、日本にも台湾製の安いビニール傘が大量に輸入され、全盛期は50社ほどあったビニール傘メーカーは、次々と廃業や撤退に追い込まれた。
その後も値下がりが続き、1990年代、中国が「世界の生産拠点」となると拍車がかかった。
現在、洋傘の国内市場規模は年間1億3,000万本であるが、うち8,000万本がビニール傘となっている。
W社以外のビニール傘メーカーはすべて撤退し、日本のビニール傘の市場は、中国からの輸入品に占拠された。
W社も傘づくりを諦めかけたが、「高級なビニール傘を必要とする人は必ずいる」というS氏の強い信念から開発に取り組んだ。
グラスファイバー製の8本骨でできたビニール傘は、風速15メートルの台風でも曲がらず、軽さとしなやかさを兼ね備え、しかも骨の上に空気が抜ける穴「逆支弁」(特許取得済み)があるため、外からは水が入らず中からは風が抜けるという構造になっている。
選挙カーの上で演説する際、横風を受けても、強風でも壊れない。
ビニールなので庶民性を感じさせるし、透明なので表情を伝えられて良いと、議員の間で評判になった。
また、宮内庁の傘の修理を請け負う会社からの相談があり、皇后陛下(現上皇后美智子陛下)が、園遊会など屋外での行事に参加される際、参加者一人ひとりの顔を見ながら挨拶できる、軽くて片手でも持てるビニール傘を求められ、開発もした。
皇后陛下には大変気に入っていただけた。
これを機に、W社は、由緒正しいビニール傘メーカーというステイタスを得た。
こうなってくると、W社のビニール傘は、オーダーメイドで一般の消費者には縁遠い商品として映る。
しかし、ハンディキャップのある人や赤ちゃんを抱くお母さんたちから「丈夫で周りがよく見えるし、周りの人にも自分の姿が見えるから安心」といった声が数多く寄せられている。
また、W社では、傘を5年10年と長持ちさせるため、修理を受け付けている。
カバーも骨も、壊れたら取り替えている。
さらに、傘の修理を行うことで「そういう使い方をする人もいるのか」という情報も得られる。
この情報から改良点が見つかり、新商品が生まれているのだ。
W社は、年間1万2,000本、お客様に喜んで使ってもらいたいという思いを込めて、こうした高級ビニール傘を作り、お客様から高い評価を得ているのだ。
W社は、使い捨てではない、高級ビニール傘市場(池)のクジラとなった。
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筆者紹介
- アタックスグループ 代表パートナー
公認会計士 税理士 西浦 道明(にしうらみちあき) - 1981年、株式会社アタックスを創業。中堅中小企業の経営の専門家として「社長の最良の相談相手」をモットーにしている。
東京・名古屋・大阪・静岡・仙台を拠点に、中堅中小企業の総合的なご支援に力を注ぎ、約200名のコンサルタントとともに日本に「強くて愛される会社」を一社でも多く増やすために汗をかく。