高品質の薄型ニッパー市場の池クジラ -株式会社マルト長谷川工作所

経営

西浦道明のメルマガ 2024年6月

2014年から、当メルマガでは自社独自の「池(市場)」を見つけ出し、その池の「クジラ(圧倒的なシェア・ナンバーワン)」となった結果、高収益を継続している中堅中小企業をご紹介している。

連載118回目の今回、新潟県三条市で、ニッパー、ペンチ、ミニチュア工具、ワイヤーストリッパー、ピンセット、 他エレクトロニクス関連工具、理美容鋏(はさみ)、爪切りなど、作業工具製造を行う株式会社マルト長谷川工作所(以下、M社)の池クジラぶりを見ていきたい。

1924年(大正13年)、創業者の長谷川藤三郎氏が、大工道具等の製造を新潟県三条市で開始したのがM社の始まり。

1932年、「スプリングハンマー」を新潟県ではじめて導入し、それまで手で金属を鍛えていた作業を機械化し、その生産性を大幅に向上させた。

また、作業工具分野でのグッドデザイン賞は日本初、今までに70以上のデザイン賞を重ねている。

元々、国内市場では、関西メーカーの力が強く、大手企業を顧客に抱え込んでいた。

そのため、後発メーカーで、地方の新潟に立地していたM社は門前払いされ、苦戦した。

そんな中で、2代目藤三郎氏は、営業訪問した企業担当者から「今さら来ても遅いよ。そんなにいい商品なら、いっそ国外へ輸出してみたらどうか」と言われ、海外進出に、本気で取り組むことにした。

1970年代当時、米国のホームセンターは黎明期を迎えていたこともあり、その規模・売り上げは爆発的に伸び、M社はそこにペンチやニッパーを投入していく。

投入後、すぐに成果が出て、80年代初頭までに、その生産ペースは年間400万丁を超えた。

しかし、その後、状況は一変する。

1985年のプラザ合意により急激に円高が進行したからだ。

安価な汎用品を数多く作る少品種大量生産は、台湾や韓国などに席巻されて行った。

そこでM社は、工場等で使われるプロ用工具の多品種少量生産に切り替えた。

そのきっかけは、1980年ごろ、海外の展示会で知り合ったドイツの企業から「高品質のプロ用工具を作ってくれないか」という依頼だった。

技術を磨き上げ、作業工具では世界一と言われたドイツ企業が認める技術レベルの工具をつくり上げることができるようになった。

M社のプロ用工具、プラスチック用ニッパーは、従来に比べて刃先が薄かった。

M社のニッパーは、職人技でしか作れない、ばらつきがない日本製特有の切れ味が評価され高い支持を得た。

しかも、M社のニッパーは3万回以上使用できるが、粗悪品は数千回でダメになる。

その結果、全ニッパーの7割くらいが薄刃のニッパーへと変わっていき、この市場はM社の独壇場となり、北米の巨大なプラスチック産業においてトップシェアを獲得するまでになり、生産数も国内最大規模に成長した。

さらに、トヨタ生産方式をベースにした、マルト・プロダクション・システムにより、コスト面でも見直しを図っている。

2008年のリーマンショックは、M社の経営を大きく揺るがした。

海外市場からの工具の注文が激減し、一挙に35%も売り上げが落ち込んだ。

そこで、4代目の長谷川社長は、理美容部門に進出し、「ニッパー型爪切り」と「理美容ハサミ」を新たにラインナップに加えた。

海外で普及しており、日本でも市場を開拓できるのではないかと踏んだためだ。

さらに、ブランディングに力を入れ、OEM製品のみならず自社ブランド製品を伸ばしている。

こうした、不況の影響を受けにくい製品をベースに、経営の安定化を高めている。

M社は、日本の職人の技をベースに、安定した品質を実現させ、高品質の製品をつくり続けることで、お客様から高い評価・信頼を得てきた。

M社は、北米・欧州・アジアにおいて、ニッチではあるが高品質の薄型ニッパー市場(池)で圧倒的な存在感を示し、世界のクジラとなった。

  
  
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筆者紹介

西浦道明

アタックスグループ 代表パートナー
公認会計士 税理士 西浦 道明(にしうらみちあき)
1981年、株式会社アタックスを創業。中堅中小企業の経営の専門家として「社長の最良の相談相手」をモットーにしている。
東京・名古屋・大阪・静岡・仙台を拠点に、中堅中小企業の総合的なご支援に力を注ぎ、約200名のコンサルタントとともに日本に「強くて愛される会社」を一社でも多く増やすために汗をかく。
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