数年前、私が依頼された経営者向けの研修会に、親しい中小企業経営者をゲスト講師に来ていただき、お話をいただきました。
80分くらい、パワーポイントを活用した「私の考える経営・やっている経営」というテーマでの話は、会場にいた多くの経営者を魅了する内容でした。
とりわけ、「経営」ではなく「経営学理論」の話に終始する傾向のある大学教授や「いかに儲かるか…」とか「いかに勝つか…」を強調する経営コンサルタントなどの話より、はるかに内容のある説得力のある話でした。
そして、講演の最後に
「当社では、入社希望の学生さんたちには、全員に作文を書いていただいていますが、今年入社してくれた一人の高卒新入社員が、書いてくれた作文をひとつだけ紹介させていただきます」
「聞いて下されば、当社が、どんな社員を求めているのか、どんな社員がいる会社なのかがきっとわかると思います…」
そう言って、その経営者は、研修会の前の演壇で、マイクを握りながら読み始めました。
「ある会社の入社試験で『お母さんの足を洗い、そのことを800字程度原稿に書いて提出するように』言われました。お母さんにそのことを話すと、お母さんは少しためらって『あんまり見せれる足ではないけれど、頑張って洗ってね…』と言いました。
早速、洗い場に行って、はだしのお母さんの足を見た時、私は少し驚いてしまいました。冬でもないのに、カサカサと乾燥していて、ひびも入っていました。
右足には、魚の目のようなものが2つあり、とても痛々しかった。ひびが入っているため、しみると痛いと思い、石けんを余りつけず優しく洗いました。
石けんを流し、タオルでふく時も、こすらないように優しくふきました。そして、最後の仕上げにクリームを足全体に塗ってやり終えました。
洗い終わったお母さんの顔は、いつも以上にきれいでした。そして、私に『ありがとう…』と涙目で言ってくれました。
でも、お礼を言うのは私です。私のためにこれまで動いてくれたり、心配をさせてしまったり、生まれてから今日まで、たくさんの迷惑をかけてしまいました。
ですから、私が働けるようになって、給料をもらうようになったら、お母さんに保温効果のあるクリームを買ってあげようと思いました。
今まで、私はお母さんの足を洗うなんてことは、考えたこともありませんでした。
しかし、お母さんの足を洗った後、お母さんの日々の苦労を感じ、私の胸の中が、感謝の気持ちで溢れ、今まででいちばん素直な気持ちで、『お母さん…、ありがとう…』が言えました。この宿題をだしていただいた社長さんたちに、とても感謝しています」
作文を読んでいる社長さんは「最近は年のせいか涙もろくなってしまって…」と言いながら、声を詰まらせながらも最後まで読んでくれました。
私も、ポケットからハンケチを出し溢れる涙をぬぐいながら聞かせていただきました。広い会場を見渡すと、多くの人が、私と同じように涙をぬぐっていました。
話が終わってから、会場から、「質問をさせていただいてもいいですか…」と、言って、講演に心を込めてお礼を言いつつ、「作文の件ですが、こんなことをするのは嫌だ…といって、書かなかった学生さんはいませんか…」と。
すると、社長さんは、「ありがたいことに、既に10年以上やっていますが、この間、書かなかった新入社員は一人もいません。付け加えて言うと、他社に転職した社員も一人もおりません…」と。
この日、講演をしてくれた方は、浜松市に本社のある松川電氣株式会社の社長である小澤邦比呂さんでした。
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筆者紹介
- アタックスグループ 顧問
経営学者・元法政大学大学院教授・人を大切にする経営学会会長 坂本 光司(さかもとこうじ) - 1947年 静岡県生まれ。静岡文化芸術大学文化政策学部・同大学院教授、法政大学大学院政策創造研究科教授、法政大学大学院静岡サテライトキャンパス長等を歴任。ほかに、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞審査委員長等、国・県・市町村の公務も多数務める。専門は、中小企業経営論、地域経済論、地域産業論。これまでに8,000社以上の企業等を訪問し、調査・アドバイスを行う。