札幌市に、富士メガネというメガネや補聴器の小売店があります。
創業は1939年、創業の地は樺太(サハリン)の豊原町です。
しかしながら、第二次世界大戦で、樺太はロシア(旧ソビエト連邦)の侵攻にあい、創業者である現社長の金井昭雄氏の父、金井武男氏は、九死に一生を得て札幌にわたったのです。
そして、まだ戦後の混乱の続く中、準備を重ね、1946年に再創業をしたのです。
その後、苦労と努力はもとより、その中での地域貢献活動・社会貢献活動が相まって、国内外の関係者から高く評価され、今や、北海道内を中心に、全国65店舗の小売店を展開し、社員数も約600名という、業界でも有数の企業にまで成長発展しています。
同社が、この間、一貫して行ってきた五方良し経営を、1つずつ紹介したいところですが、ここでは同社が既に40年以上前から行っている地域貢献・社会貢献活動について紹介します。
その1つは、「中国残留日本人孤児」に対する支援活動です。
今でこそ、あまり聞かなくなりましたが、1980年~1990年代は、毎年多くの「中国残留日本人孤児」の方々が、家族に会いたくて、日本に来られました。
しかしながら、家族に会える人々は、ほんのわずかで、大半の人々は、会いに来る人もなく、肩をがっくりと落として、再び中国に戻っていきました。
富士メガネでは、この人々のために、何かお役に立ちたいと、社員に相談するとともに、政府に依頼し、メガネを通じ「見える喜び」をプレゼントしたいと考えたのです。
残留孤児の依頼で、一人ひとりの目を丁寧に検眼し、その人に合うメガネをその場で製作し、無償でプレゼントをし続けたのです。
残留日本人の多くは、決して裕福ではなく、大半は、都市から遠く離れた農村地域で、何十年も過酷な人生を送ってきた人達です。
ですから、適正なメガネをしている人も、ほとんどいない状況でした。
中国に帰られた孤児の方々が、同社にお礼の手紙を、数多く寄せてくれました。
手紙には、「祖国は私たちを見捨てなかった…、祖国から頂いた数々のお土産の中で、メガネほど、うれしいものはありませんでした…」とか「花や木がこんなにも美しいとは、メガネをするまで知りませんでした…、祖国に感謝申し上げます…」等と書いてありました。
決して上手とは言えない文字でしたが、和訳してくれた文章を読み、涙が溢れてきました。
もう1つの支援活動は、戦争や紛争等で祖国を追われ、難民となってしまった人々への支援活動です。
この活動は、今から40年目への1983年からで、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の要請に基づき、メガネをプレゼントし続けているのです。
しかも、難民が生活するテント村に、毎年、金井社長を団長に、同社の4名~5名の社員が「視援隊(しえんたい)」という名の団を編成し出向いているのです。
ここでも、検眼のための機器で、一人ひとりを検眼し、その場で、その人に合うメガネを作り、やはり無償でプレゼントをしているのです。
どこの難民村でも、長蛇の列で待っているそうです。
現地に出向いた多くの社員は、まともなトイレもお風呂もない中、この人々を助けてあげたいと、ただひたすら、検眼やメガネを作り続けているのです。
余談ですが、その期間は往復含め、平均し10日~15日要するのですが、社員は有給休暇だそうです。
それでも参加したい社員が多くいるのです。
いつぞや、金井社長に、「難民キャンプに行くことも勇気がいりますが、しかも有給休暇を使って、よく多くの社員が参加をしてくれますね…」と質問をしました。
すると、金井社長は「行った社員は、あまりの悲惨な状況に涙するとともに、難民の方々の検眼をし、メガネをプレゼントすると、プレゼントされた難民の人々は、担当した社員に涙し、抱きつき、お礼を言ってくれます。社員は、自分が世のため人のために真に役立っていると感じる瞬間と思います。帰った社員が、他の社員にもそのことを話してくれていますから、希望者が途絶えることはありません…」と話してくれました。
その折、金井社長さんから、「アゼルバイジャンの難民の子供のお父さんから来た手紙です…」と見せていただきました。
「富士メガネの支援隊が、自分が暮らす難民キャンプ村から、およそ100㎞離れた村に来るという情報が入りました。あの日は朝早く起き、ほとんど目の見えない7歳になる息子を自転車の荷台に乗せ、息子の身体を私の身体にひもで縛り、なんとか時間に間に合うように、休むことなく、ただただ必死で何時間もかけ自転車をこぎ続けました。」
「ようやく会場に到着し、理由を告げると、優先的に子供の眼を見ていただきました。あの時、金井先生が『お父さん、この子の眼は見えるようになるよ…』といった言葉を聞いて、涙が溢れ出てきました。」
「7年間、外には出ることもできなかった子供が、今では毎日、外で友達と大きな声を出しながら遊んでいます。ありがとうという感謝の言葉しか思いつきません。」
「金井先生、貴社が取り組む難民への支援活動は、絶望の中、私たち難民に夢と希望を与えてくれています。どうか、これからも世界中の哀れな人々に手を差し伸べてください…」
と書いてありました。
ちなみに、この40年間に、世界各地の難民キャンプに出掛け、検眼し、プレゼントしたメガネは、新品で18万組、使用済みで3.3万組だそうです。
こうした献身的な活動が評価され、第3回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞経済産業大臣賞が、同社に授与されました。
アタックスグループでは、1社でも多くの「強くて愛される会社」を増やすことを目指し、毎月、優良企業の視察ツアーを開催しています。
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筆者紹介
- アタックスグループ 顧問
経営学者・元法政大学大学院教授・人を大切にする経営学会会長 坂本 光司(さかもとこうじ) - 1947年 静岡県生まれ。静岡文化芸術大学文化政策学部・同大学院教授、法政大学大学院政策創造研究科教授、法政大学大学院静岡サテライトキャンパス長等を歴任。ほかに、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞審査委員長等、国・県・市町村の公務も多数務める。専門は、中小企業経営論、地域経済論、地域産業論。これまでに8,000社以上の企業等を訪問し、調査・アドバイスを行う。