鹿児島中央駅から7分程歩いた雑居ビルの中に、株式会社ラグーナ出版という出版物の編集・製作や印刷物の作成をしている企業があります。
同社の最大の特長は、就労する大半のスタッフは、精神障がいのある方という点です。しかも、その数は年々増加し、現在では、関連のNPO法人ポラーノ・ポラーリを合わせると50名以上になります。
就労している方々は、一般企業では就職ができなかったり、障がいが理由で離職せざるを得なかった、20歳代から60歳代までの男女です。
同社の設立は、今から15年前の2008年です。中心となった創業者は、現会長の森越まやさんと現社長の川畑善博さん、さらには、2人が治療していた、働きたいという強い願望のある病院の患者さんたち数名でした。
森越さんは、鹿児島市の病院に勤務する精神科医。川畑さんは、同じ病院に勤務する精神保健福祉士でした。
毎日多くの精神障がいのある人々の治療やケアにあたる中で、2人がいつも強く思っていることがありました。それは精神障がい者への治療のあり方そのものでした。
「精神障がいという障がいに対し、病院ができることは、せいぜい進行を抑えたり、症状を和らげることであり、病院だけでは、薬だけでは、精神障がいを治癒させることはできない…。精神障がい者への最大の治療は、病院や薬ではなく、社会参加、つまり働くこと・誰かの役に立つこと…」ということでした。
しかも、自分たちが治療していた多くの患者さんたちも、働くことを強く望んでいたからでした。このため、2人は病院勤務の時から、多くの企業に精神障がいのある人々の雇用を、依頼をしていました。しかしながら、当時の大半の企業は「精神障がいの方は…」と、理解と協力が十分得られませんでした。
それで、2人は、患者さんたちの夢と希望を実現するため、あえて病院を退職し、仕事を求める患者さんたち数名と一緒になってラグーナ出版を設立したのでした。
印刷や出版をメインにしたのは、精神障がい者の多くは、文章を読んだり、絵を書いたりすることが好きであり、得意だからでした。つまり儲かりそうだとか、設立者が好きだからといった理由ではなく、精神障がいのある方々の個性・強み活かすためだったのです。
私が、この企業の存在を知ったのは2010年ころのことでした。ある日、私の自宅に分厚い1通の封書が届いたのがきっかけでした。
送り主は、鹿児島県鹿児島市…とあり、女性の名前が書いてありました。もとより、これまでお会いしたことは一度もない女性でした。
封を切ると、原稿用紙に手書きで書かれた8枚くらいの手紙や、ラグーナ出版のチラシ、さらには、私の新聞記事等が入っていました。
詳細は述べることはできませんが、概ね次のような内容でした。
「前職当時、ひどいいじめを受け、ついには精神障がい者となってしまいました。5年間ほど入退院を繰り返し、引きこもりのような生活をしていました。昨年から縁あって、私の治療を担当してくれていた先生方が立ち上げてくれたラグーナ出版で働かせていただいています。毎日が楽しく充実しています。私は、お金が欲しくて働いているわけではありません。誰かの役に立ちたいのです。そして人からお礼を言われるような生き方をしたいのです…、納税者になりたいのです…」
等と、面々と書かれていました。
そして、最後に「先生、いつの日か私が働いているラグーナ出版を訪問してください。そして私たちの会長さんや社長さんたちを褒めてあげて下さい。先生よろしくお願いします…」と書いてありました。この手紙は帰宅した後、直ぐに自宅書斎で、立ちながら読ませていただきました。読みながら涙が溢れ出てきました。
直ぐに行ってあげたかったのですが、ラグーナ出版は鹿児島市です。大学の研究室ある東京近県や自宅のある静岡県の周辺県ならば、空いている時間に出かけることは可能でしたが、当時は極度に忙しく、わずか1日を割くこともできなかったのです。
ともあれ、手紙をいただいてから2か月後、ようやく同社を訪問させていただきました。当日は寒い日でしたが、裏通りの古びた雑居ビルの前で、手紙をくださった女性を真ん中に、森越さんと川畑さんの3人が、今か今かと私の到着を待ってくれていました。
作業所で一生懸命仕事をしている障がいのある社員の表情は、自信に満ち、楽しそうに仕事をしていました。加えて言えば、これほど空気(社風)の良い企業は、稀有でした。
余談ですが、ラグーナ出版は、今でこそ、この分野のモデル企業として高く評価されていますが、私がこの会社に初めて訪問した頃は、業況は決して安定しているといった状況ではありませんでした。それもそのはず、経営という面では、ど素人の医師と精神保健福祉士の2人が使命感だけでスタートしたからでした。
私は、その場で経営のアドバイスをするとともに、大学に帰り、約50名いる経営者を中心とする社会人大学院生の前で、この会社の存在を伝えました。
そして私がいつも口癖のように話す「私たちができない・やれない正しいことをしている人々がいたならば、私たちがやるべきことは、その人々を支援することである。私たちは決して傍観者であってはならない…」と、学生たちに熱く話しました。
それは、心優しい彼ら・彼女らならば、ラグーナ出版のために、直接・間接貢献をしてくれると考えたからです。以来、ほぼ毎年のように、多くの社会人学生たちと一緒に、訪問しているのです。
ラグーナ出版の事業は、私のもとで学んだ社会人学生や、噂を聞いた人々、さらには、私が学会長を務める「人を大切にする経営学会」がお願いしている仕事が少なからずあります。
アタックスグループでは、1社でも多くの「強くて愛される会社」を増やすことを目指し、毎月、優良企業の視察ツアーを開催しています。
視察ツアーの詳細は、こちらをご覧ください。
筆者紹介
- アタックスグループ 顧問
経営学者・元法政大学大学院教授・人を大切にする経営学会会長 坂本 光司(さかもとこうじ) - 1947年 静岡県生まれ。静岡文化芸術大学文化政策学部・同大学院教授、法政大学大学院政策創造研究科教授、法政大学大学院静岡サテライトキャンパス長等を歴任。ほかに、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞審査委員長等、国・県・市町村の公務も多数務める。専門は、中小企業経営論、地域経済論、地域産業論。これまでに8,000社以上の企業等を訪問し、調査・アドバイスを行う。