万協製薬の挑戦

経営

三重県の多気町に「万協製薬」という社名の中小企業がある。クリーム剤・軟膏剤・液剤等外用薬の製造工場である。

設立は1960年(昭和35年)現社長である松浦信男氏の父親が神戸市長田区でスタートしているが、1996年(平成8年)現在地に本社ごと引っ越している。

その理由は1995年(平成7年)に発生した阪神淡路大震災で本社工場も、工場内にあった機械設備も、さらには自宅も全壊してしまったからである。当時の社長であった父親は、この日を境に震災ショックで体調不良となってしまい、当時約30名いた社員も大半が離散している。

当時専務であった現社長の松浦氏は、再生の地を三重県の多気町として、翌1996年(平成8年)、再スタートしている。

松浦社長は「1995年1月17日は人生最悪の日。どんな日でも、あの日より悪い日はない。だったら乗り越えられないものは何もない…」と考えたからという。

残った2人の社員とともにスタートした企業であるが、現在では従業員数約100名、売上高は約19.1億円にまで成長発展している。

万協製薬は三重県の山奥に地震に強い新工場を建設し、この地に本社も移すと同時に、そのビジネスモデルをも大きく変化させている。

第1は、あれもこれもではなく得意のクリームや軟膏等の外用薬への絞り込み

第2は、1社・1品に依存した経営から多くの優良企業との取引

第3は、単なるOEM工場からODM工場への転換

第4は、当社が存在しなければ取引先が困るような企業

である。

血の滲むような経営革新努力により、こうした経営目標は、このおよそ15年間で見事に実現したといっても過言ではない。事実、現在の当社の主たる取引先は69社にのぼり、その最大取引先への依存度も僅か10%程度である。

また生産している商品は、約200アイテム、しかもこれまた最大商品の依存度は10%程度である。

さらにまた、この間、技術力の向上に努力し、かつては取引先が開発した商品のOEM生産だったが、今や自社開発商品のOEM生産、つまり「ODM」(オリジナル・デザイン・マニュファクチャリング)が主力となっている。

こうしたがんばる企業の存在は、問題は外と嘆き悲しむ中小企業に新たな気付きを与えると思われる。

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筆者紹介

坂本光司

アタックスグループ 顧問
経営学者・元法政大学大学院教授・人を大切にする経営学会会長  坂本 光司(さかもとこうじ)
1947年 静岡県生まれ。静岡文化芸術大学文化政策学部・同大学院教授、法政大学大学院政策創造研究科教授、法政大学大学院静岡サテライトキャンパス長等を歴任。ほかに、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞審査委員長等、国・県・市町村の公務も多数務める。専門は、中小企業経営論、地域経済論、地域産業論。これまでに8,000社以上の企業等を訪問し、調査・アドバイスを行う。

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