原材料にこだわる株式会社豆子郎

経営

山口市に「株式会社豆子郎」という社名の菓子店がある。主製品は「豆子郎」という商品名の外郎(ういろう)等和菓子である。創業は1948年(昭和23年)現社長の義理父である田原美介氏が奥さんと二人でスタートしている。

創業者の田原氏は、創業するまでは満州鉄道に勤務するエンジニアであったが、終戦で中国から帰国した引揚者である。帰国後、子供のころから大好きだった外郎を販売していた老舗のお店が廃業すると聞き、では自分がとチャレンジしたのである。

もともと菓子職人ではない田原氏にとってお菓子づくり、とりわけ他店とは異なる「外郎」を開発することは容易ではなかった。創業およそ1年間は「ぬかパン」の小売りで家族の生計を立てつつ、この世にない新しい外郎の開発に没頭した。

苦労に苦労を重ね、ついにこれまでとは全く異なる外郎の開発に成功している。田原氏はこの商品名をドシロウトが開発した豆入りの外郎ということで「豆子郎」と名付けた。そしてこれを機に、企業の社名も「株式会社豆子郎」とした。

それまでの外郎は、「手にべとべとして汚れてしまうとか…、大きくて食べにくい…」といった評価が少なからずあったが、「豆子郎」はこの全てを解決した「新しい外郎」といっても過言ではない。

株式会社豆子郎は、これまで幾多の困難を乗り越え、現在では社員数は110名、山口県を代表する銘菓の1つとして、ちまたの評価はすこぶる高い。

豆子郎が今日まで、とりわけ昭和61年以降、順調に成長発展してきた要因は多々あるが、とりわけ明記すべき要因は次の3点である。

第1点は、原材料への徹底したこだわりである。外郎の主たる原材料は、小豆餅や砂糖、さらにはわらび粉・大納言小豆等であるが、これら原材料は日本を代表する産地の一流業者への特注であり、しかも最も高価格・高品質な原材料を調達しているという。

第2点は、ESとⅭSを両立した大家族的経営の実践である。創業者は、自身の戦争体験もあり、経営の原点は家族・温もり・絆とし、「喜びも悲しみも苦しみもともに分かち合う」大家族的経営を実践してきた。

このため当社には、実質定年もなく10歳代から80歳代まで、健常者も障がい者も、まるで1つの家族のように寄り添い仕事に取り組んでいる。ちなみに、地域では当社の社員のことを「豆子郎ファミリー」と呼ぶ。

第3点は、当社が掲げた経営理念と経営戦略が社内外の関係者の支持を得たからである。ちなみに当社の経営理念は「お客様の喜びと幸せに貢献する」であり、また、経営戦略は「利益よりも継続」である。

先日山口市に行った折、当社の本店を訪れたが、五感を重視した素敵な日本庭園の中にある喫茶室で食した「豆子郎」は絶品であった。

アタックスグループでは、1社でも多くの「強くて愛される会社」を増やすことを目指し、毎月、優良企業の視察ツアーを開催しています。
視察ツアーの詳細は、こちらをご覧ください。

坂本光司の快進撃企業レポート一覧へ

筆者紹介

坂本光司

アタックスグループ 顧問
経営学者・元法政大学大学院教授・人を大切にする経営学会会長  坂本 光司(さかもとこうじ)
1947年 静岡県生まれ。静岡文化芸術大学文化政策学部・同大学院教授、法政大学大学院政策創造研究科教授、法政大学大学院静岡サテライトキャンパス長等を歴任。ほかに、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞審査委員長等、国・県・市町村の公務も多数務める。専門は、中小企業経営論、地域経済論、地域産業論。これまでに8,000社以上の企業等を訪問し、調査・アドバイスを行う。

タイトルとURLをコピーしました